肺動脈血栓塞栓症? ―いわゆるエコノミークラスシンドロームです―
 海外旅行の機会が増えて、新聞紙上で目につくようになった病気です。長時間狭い機内に閉じ込められて、到着した空港で「胸が苦しい」と倒れそのまま死亡する危険率が高く、成田でも年間数十人がこの病気で死んでいるそうです。しかし、「私は飛行機嫌いで、海外旅行なんかしないから、平気平気」と思ったら大間違いです。この10年、この病気に注目して積極的に治療していると予備軍が意外に多いことが分かりました。今年まで死ぬほどの重症の患者さんは2名でしたが、それも、もっと早くから治療を始めていれば助かったのにと、残念な思いをしました。
 まず、病気の本体は下腿(ふくらはぎ)の骨の間を走る目には見えない太い静脈(深部静脈と言います)で異常が発生することです。やられるのは女性、それも中高年の人が殆どで男性は1人しか見たことがありません。静脈の血液の流れは、動脈と違い心臓の様なポンプがなく、体の筋肉に押しつぶされ、押し上げられる様にゆっくりと心臓に戻って行きます。特に足から上への血流は、重力に抵抗して戻って行くので逆流を起こしやすく、うっ滞しやすいのです。
それを防止する為に、静脈には逆流防止弁が着いてます。この弁が故障すると深部静脈に血液が淀み、固まって血栓を作ってしまいます。
 中高年の女性に多いのは、妊娠時にこの逆流防止弁が腹圧により壊れる為だと思われています。この血栓が流氷の様に血流に乗って動き始め心臓、そしてガス交換の為、肺動脈に流れ込み肺の血管を詰まらせて、この病気が発症します。
酸素を取り込む肺の血液が不調となり、いくら空気を吸っても血液に酸素が取り込まれず、全身の低酸素状態が起こるのです。大きい血栓が急に動いて発症すると急性肺動脈血栓塞栓症と呼ばれ、太い本幹の肺動脈が詰まると死亡率が非常に高くなります。小さい血栓が、時々飛んで来ては肺の小さい動脈を詰める時には無症状に経過することもあり慢性肺動脈血栓症と呼ばれます。症状は胸痛、呼吸困難、咳です。
急性症例は目の前で起こったので鮮明に覚えています。救急車で胸が痛いと運ばれてきた患者さんが、突然「息が出来ない、苦しい」と、もがき始めました。肺の呼吸音は正常、心電図も正常、しかし動脈血ガスのデーターはドンドン悪化していきます。この病気を想定して、急ぎ血栓を溶かす治療をしましたが、3日後に亡くなりました。この時は吸っても吸ってもガス交換が出来ず患者さんにとっては生き地獄の苦しみだったと思います。(合掌57歳女性)
 慢性症例で亡くなった方は、バス旅行中に息切れを覚え、検査したところ右肺の2/3、左肺の1/2の血管が詰まっていました。一時重篤になりましたが、血栓を溶かし、新たな血栓が出来るのを予防する薬を内服して、かつ血栓が飛んでくるのを捕捉する下大静脈フィルターを装着して万全を期しました。しかし、肺高血圧が悪化し、ゆっくりゆっくり3年後に亡くなりました。(合掌82歳女性)
 病気の本体がおわかりいただけましたでしょうか?人の体は出血に対しては幾重にも安全策がとられていますが、血が固まった血栓を溶かすシステムは手薄です。静脈造影法やドップラーエコー等の簡単で安全な検査によって、深部静脈の詰まり具合を調べられます。外来で15〜20分くらいで終わります。もし膝の裏が痛く、下腿が腫れて変だなと思ったらこの病気を疑って下さい。まして空咳が続いたら、怖いのは肺癌だけではありません。
 エコノミークラスの様に脚を伸ばせない狭い席で、脚を長時間曲げていると、膝の裏側で血液の淀みがひどくなり、血液が固まり血栓を作り、飛行機が目的地に到着して、立ち上がり、歩き始めると脚の筋肉が勢いよく深部静脈を圧迫し始め、血栓が筋肉ポンプの働きで肺に飛んで来る。これが名前の由来です。予防は脱水を防ぎ、脚を曲げたり伸ばしたり、しっかり動かすことです。
 
Q & A

Q. 肺動脈血栓症について、非常に勉強になりました。ありがとうございました。
ところで、「膝の裏が痛く、下腿が腫れて変だなと思ったらこの病気を疑って下さい」との部分ですが、具体的にどのような症状であるのか詳しく教えて頂けないでしょうか。よろしくお願い致します。

A. 深部静脈に血栓ができることが、この病気のFirst stepです。血栓は、1)血液が濃くなること(脱水などのため) 2)血管の壁が傷んで、血球がスムーズに流れなくなりひっかかりやすくなること(静脈炎、弁が壊れる) 3)血液の流れが緩慢になる(寝たきり、長時間座りっぱなし) この3つの要素に、その人の遺伝的な背景と環境的な背景が複雑にからみあって深部静脈血栓が発生します。殆ど全例が膝の部分で合流する以前のふくらはぎの静脈、ヒフク筋、ヒラメ筋、脛骨、ヒコツ静脈などに発生します。そこで、同部の痛み、表面の静脈の怒張そしてFOOT CALF(ふくらはぎ)のむくみが発生するのです。
本によっては、パンパンに張ると動脈も圧迫されると書いてありますが、多分これはうそでしょう。私は見たことがありません。また、この血栓が肺動脈に飛んできて、ひっかかることで急性または慢性肺動脈血栓症が発生します。
私の急性発症例の経験は多くありませんが、不思議なことに発生直後に下肢の張れはありませんでした。血栓が出払ったためなのか?と思ってます。いずれにしても動脈の老化に比べ目立ちませんが、中年のヒトの静脈もかなり痛んでいるなという実感です。